幻影、とは違う

それはまるで錯覚のように



























■ one : my beginning ■



























二つの足音が、高い天井に響いて木霊する。
先の見えない薄暗い廊下の両側で揺らめく蝋燭の灯りに、少年はふと、足を止めた。


「早く来い、ラビ」


前を歩いていた小柄な老人の声で目線だけを動かし、立ち止った師の姿を一瞥して、歩みを始める。
少年はこの建物に入ってから、一連の遣り取りを繰り返している。
ある時は指を折り、ある時は何かを呟き、ある時はただ燭灯を見つめ、
そしてまた名を呼ばれて歩き出す。

どこまで続いているのか知れない廊下には、厳かな扉が点々と続いていた。
他より一回り大きな扉の前で一人分の足音は止まり、促されるようにもう一つも止まった。
老人は中華風に拡がった袖の中で腕を組みなおし、一歩を踏み出す。






「室長はおるか」


扉一枚隔てた先に広がったのは、白衣を着た、科学者と思しき者たちの喧騒だった。
その中の一人、髪を後ろに掻き揚げた垂れ目の男に、老人はそう声を掛け
少し待ってて下さい、と通された部屋の奥にあるソファに腰を下ろしたラビは、部屋を見渡す。

試験管を揺らす者、鉱物を光に照らす者、ペンを耳に掛け書類と睨み合う者、
数多の分野に精通した人材が、ここに集まっているのだろうか。


「お待たせして申し訳有りません、ブックマン」


突然後ろから声を掛けられ、紅茶のカップが置かれたテーブルの方へ向き直ると
他の科学者達とは違う白衣に身を包んだ長身の男が、帽子を手に此方へ笑顔を向けていた。
眼鏡の奥の切れ長な瞳と黒く撥ねた髪に、東洋人であることが窺える。


「そちらは…、例の?」


自身を視線で指されて、ラビは微かに顔を顰めた。
先程のブックマンの言葉から、この男が「室長」という地位だということはわかったけれど
何か、見透かされたような感覚に、無意識の警戒心が解けない。

隣で立ち上がった師につられ、ラビも重い腰をゆっくりと上げる。


「まだまだ半人前にも及ばぬが、名をラビという」


その言葉にラビは隣に視線を奔らせるが、目は合わないまま一つ溜息を吐かれるだけで
代わりに、テーブルを挟んで向こう側に立った男から、喉の鳴る音が聞こえた。
胸でぎしり、と重いものが軋んだ気がして、ラビは正面へと冷たい視線を送る。


「初めまして、ラビ君。僕はここの室長、コムイだ」


呼び捨てで構わないよ、と弧を描かれた口元に、何故だか応える気が起きず
ラビはそのまま勢いよくソファへとその身を預けた。

ぼすっ、と大きな音を立てた少年に、向けられる視線の数にますます眉間の皺は増え、
次いで腰掛けた二人の表情に気を向ける余裕さえ持ち得なかった。


「―…それで、どうでした、オセアニアの状況は」


コムイはそれまでより少し声のトーンを落とし、話を切り替えた。
と同時に、チラ、とラビを窺うように視線を泳がせる。
それに気付き意図を察知して、ラビは自身の親指に嵌めているシルバーを弄りながら呟いた。


「俺、まだ全部の階巡って無いんだけど」









* * *



やはり冷たく薄暗い廊下に、今度は一人分のブーツの音が木霊する。
ブックマンはラビに一瞥もくれずに、行って来い、とだけ言った。

確かに自分は、まだ彼の足元にも及ばない修業の身だという事はわかっていて、
そんな未熟者には聞かせることの出来ない話があるのも当然なのだけれど
それでも、あんなあしらわれ方をすれば、やはり何か心は重くなる。

傍から見れば歳相応の表情をしながら、ラビは流れてゆく石畳の模様を荒く踏み付けて行く。
そういえばブックマンに与えられている部屋の場所を聞くのを忘れていた。


「……くそ、」


もう自分の足が何処に向いているのかすらわからず、
ただ少年は蝋燭の灯りに照らされた廊下を突き進んだ。
と、突然一陣の強い風が吹いたかと思うと、周りの蝋燭が音を立てて一気に消えてしまった。
立ち止ったままラビは、遠くから瞼に当たる風のヒュゥ、と通る音を確かに耳に聞き入れて、
音のする方へと、瞳孔の開き切っていない左目を凝らした。

じっと見つめると、青白く光が浮き上がっているのが見える。
ラビは先程までよりずっとゆっくりとした足取りでその場所へ近寄る、と光の中に何かが翻った。
はたはた、と布の撓る音がして、風はラビの撥ねた橙髪を揺らす。
徐々に露になる光が、外界へ大きく開かれた扉から差し込む月光だとわかる頃に、
その影が声を発した。


「お前、何だ」


短く切られたその言葉に、立っているのは人だと気付く。
けれどそれはどこか人間とは違う何かのように思えて、ラビは自分も光の中に入ったところで足を止めた。


「新入りか?」


紅い頭からブーツの爪先まで視線を動かした後、また声をあげられる。
ラビは答えを返すことが出来なかった。

青白い光の中に佇むその人は、片手に黒い刀を携えていて、
もう片方には黒い、ローズクロスから団服だと窺えるコートと、赤黒いものを抱えていた。
腕からはぽたぽた、と絶えず何かが滴り落ち、床に出来た赤い水溜りかた、それが血だと判った。
そこまで理解した瞬間、ラビは自分の視界から色が消えていく感覚に襲われる。


「―…Papilio bianor dehaanii」


ラビの脳裏に焼き付いたのは水溜りの赤と、対照的に不自然なまでの上半身の白
そして青白の中、それを包む黒だけで





ただ一つ、イメージ出来たのは、月光に浮かぶ烏揚羽












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久々のラビュ、まるっきり書き方忘れてる… orz
仔ラビュも好きだけれども、これはこれでオイシイかな、と
これだけじゃ何のこっちゃ、て感じなのでもちっと続きます。

2006/8/18















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