君さえ世界にいてくれたなら























* 一番怖いもの






















――…ユウ、ユウ、起きて、ねぇ








「ユウ…!」


手を伸ばした先には、白いだけの広い天井。耳に入るのは己の荒い呼吸の音。
それから自分の身体に繋がった何本もの管の出先、規則的に鳴る機械音が静かに生を告げている。
身体の殆どを真新しい包帯で巻かれたラビは、窓も無い白い個室で無機質なパイプベッドの中に居た。
硬い枕の上で動かせる範囲で部屋を見渡すと、重苦しい扉に彫られたローズクロスに教団の一室である事を知る。
靄がかかったようにぼんやりとした意識の中、夢で見ていた世界が眼裏に焼き付いて離れない。


「……、夢」


それは酷く鮮明な、真白な雪、散ばった黒い髪、そして紅の侵蝕。
腕の中の存在は急速にその熱を下げていき、最後には世界と同化して。

そこまで思い出してざわついた胸を抑える、と同時に、ノックも無しに黒い扉がゆっくりと開けられた。
その先に居たのは紛れも無く、さっき見た夢で自分の腕の中にいた人。
驚いた表情をして立ち尽くしているから、薄いシーツから腕を出して手招きをする。


「傷、痛むか」


ベッドの横に無造作に置かれた椅子には座らず、立ったまま唐突に問われて包帯の巻かれた箇所を触ってみる。
疼く程度の感覚で、痛いとまではいかないので首を横に振って、身体を起そうとする。
しかし腕に力を入れると肩と胸に激痛が走って、顔を歪めたラビに神田は手を貸した。
サンキュ、と笑顔を向けると、少し不貞腐れたような表情を返された。


「えーと、ユウは平気?」


いつもよりはるかに大変な任務を共にして、探索部隊を何人か失った。
自分達もかなりの深手を負ったことは覚えている。その代償にイノセンスを手に入れたことも。


「お前が寝てる間に、治った」


溜息を吐きながらの口振りに、自分は相当な日数寝ていたのだとわかる。
そして、毎日ここに来てくれていたのだろうか、と少し図に乗って思いを馳せる。
もしそうなら幸せなのに、と。


「何にやけてやがる」


気持ち悪ぃんだよ、と眉を顰めて頬を抓られて、慌てて詫びと痛みを訴えた。
力は入れられていないから痛くは無かったけれど
その事実にまた笑みが零れて、一層眉間には皺が寄せられる。


「…夢を見たんだ、ユウのさ」


その遣り取りが終わってから、ラビはずっと頭の片隅にあった靄を神田に話して聞かせた。
椅子に腰を下ろして何も言わない神田を横目で見ると、伏せていて表情が窺えない。
馬鹿馬鹿しい、と呆れられただろうか。


「ごめん、忘れて、今の」


言い足して、黒髪に指を通す。上げたその表情はやっぱり曇っていた。
けれどそれは苛苛としたものではなく、どこか哀しいような、淋しいような。
こんな顔をさせたかったわけじゃないのに。


「お前は、俺より後にしろ」


何を言ったら良いかわからなくて言葉を詰まらせていると、神田にそう言われた。
どういう意味だろう、と考えてみても思い当たらずに黒曜の双眸を見つめ返す。


「俺より先に死ぬな」


言われて、髪を梳いていた手を捕まれて、伝わってきた微かな震えに、ああ、と。
任務先で深手を負った神田とラビ、けれど気を失ったのは多分自分が先で
そしてきっと、今この手を握ってくれている人は、ラビがいつまでも目覚めないことに恐怖を感じたのだ。
仲間を作ろうとしない神田は、だから仲間をいちばんに思っている。

君は仲間を失うことが、怖いんだ。


「安心してよ、ユウにそんな顔させてたまるか」


根を詰めたような切ない表情をこれ以上見たくなくて、捕まれた手で頬を撫でる。
心からの笑顔を贈ると、今度こそいつもと同じ不貞腐れたような神田が目を逸らせていて。

夢みたいに幸せなことが、君がいるだけで現実になる。


「でも、ユウがいない世界は嫌さ」


何処にも行かないで。ここにいて。それだけで良いから。
失いたくないのは、自分も同じだから。
そう心の中で伝えたラビは、ひとつ大きな欠伸をしてもう一度笑顔を向ける。


「ハラ減っちゃった、行こ」


何日も寝たまま空っぽになった腹を押さえて、あっけらかんと言い放ったラビに
小さく溜息を吐いた神田にベッドから出る助けを借りて、もう大丈夫、と返したら頭を小突かれた。
廊下に出た途端飛び込んできた光に目が開けていられなくなって、朝だというのが分かる。
大きく開けられた窓に映る神田はまるで何かの書物で見たオランダ生まれの画家の絵画のようで
この眩しい存在がどれほど尊いか、どれほど大切か。

大きく吸い込んだ太陽の匂いに、世界は素晴しいと思った。
















君すらいなくなったなら、この世界は全てを失ってしまうよ
それが一番、怖いんだ。だからどうか、一緒にいて










2006/03/09 沙藍























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